俳句の作り方 躑躅の俳句
鬱の日の沸点にゐて緋の躑躅 石寒太イシカンタ
『ハンディ版オールカラー よくわかる俳句歳時記 石寒太編著 ナツメ社』より
躑躅ツツジが晩春の季語。
躑躅ツツジがなぜ足偏なのかご説明します。
躑について・・・。
音読みはテキ。訓読みは、たちもとお(る)。
意味。立ち徘徊る(たちもとおる)はあちこち歩きまわること。
ほかに、たたずむ・たちどまるの意味もあります。
躅について・・・。
音読みはチョク。訓読みはふ(む)
意味。足踏みする。たたずむ・たちどまる。
つまり、あちこち歩きまわるほど、たたずんでしまうほど、立ち止まるほど
躑躅が美しいのです。
鬱の日の沸点にゐて緋の躑躅
「沸点」について。
水の場合蒸発して水蒸気になる100度を水の沸点といいます。
この句の場合、今日が「鬱の日の沸点」なのですから
明日は自殺するかもしれない。
そんな緊迫した日が「鬱の日の沸点にゐて」なのです。
私は作者の行動を想像してみました。
死にたいほど鬱がひどいときは、体を動かす。
それは、以前より医師に勧められていました。
作者は重い心身に鞭打って、躑躅園に足を運びます。
躑躅の緋色に身も心も飲み込まれそうなほど圧倒されます。
毒々しい色の緋の色。
網膜からの刺激で、頭がガンガン、耳鳴りがします。
ああ、もうへとへとです。
鬱の日の沸点にゐて緋の躑躅
ところで石寒太は1943年静岡県生まれ。
加藤楸邨に師事しました。
「言葉にも心にも片寄らず、炎のような情熱と人の環を大切にする」を
モットーに『炎環』を創刊し主宰となりました。
『炎環』より「ごあいさつ」を引用します。
「『炎環』のモットーは"心語一如"です。
心はこころ、語はことばです。
心と言葉をひとつにして自己の俳句に結晶する。そういうことです。
心にかたよりすぎると情に流れ、俳句が甘くなります。
また、言葉にたよりすぎると、遊びにういてしまいます。
そのどちらにもかたよることなく、心と言葉をひとつにして、
いまいちばん詠いたいことを自分の言葉で表現する、
『炎環』はそのような俳句を目指しています。
以下省略 」
鬱の日の沸点にゐて緋の躑躅