俳句の作り方 蛍の俳句
生まれた家はあとかたもないほうたる 種田山頭火たねださんとうか
ほうたる、すなわち蛍が夏の季語。
没落した生家は跡形もなく、蛍が飛び交っているばかり。
寂しすぎる。
寂しさを越えて青ざめている山頭火。
山頭火は酒におぼれ放浪と俳句を愛した俳人です。
放浪のさなかに、5・7・5の定型に縛られない自由律の俳句を作り続けました。
彼がなぜ雲水姿で放浪し、俳句三昧の旅をしたのでしょう。
その生い立ちからお話しします。
1882年明治15年生まれ。
山口県現防府市にて、大地主種田家の長男として誕生。
山頭火が10歳の時、母親が井戸に身を投げ自殺します。
父親の女遊びが原因です。
その時から彼の心には暗雲がたちこめます。
学業は優秀だったものの鬱病と深酒から早稲田大学を退学。
22歳のときです。
父が酒造業を始めるも失敗。
家屋敷すべてを売却。
24歳の時です。
山頭火は後を継ぎきれず、熊本県に移住します。
その年、弟が自殺しています。
山頭火34歳の時です。
1923年、大正12年41歳の時、関東大震災に遭遇します。
社会主義者にまちがわれ刑務所に留置。
そのショックから、泥酔して熊本市の路面電車の前に身を投げました。
電車は止まり命に別状はありませんでした。
そのとき、知人の記者に腕を引っ張られて市内の禅寺に預けられます。
翌年、得度して耕畝こうほと名乗ります。
このころから雲水姿で放浪の旅に出ます。
生まれた家はあとかたもないほうたる