俳句の作り方 雁の俳句
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな 松尾芭蕉まつおばしょう
やむかりの よさむにおちて たびねかな
雁と夜寒が秋の季語。
病雁をビョウガンと音読する説もあります。
しかし夜寒や旅寝といった大和言葉が並んでいるので
ここは訓読して「やむかり」と読みたいものです。
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな
句意を申し上げます。
病気の雁がしんしんと寒さが増す夜に水上に降りました。
やむなく旅寝をするためです。
振り仰げば、仲間の雁が棹になり鈎になって飛んでいます。
その雁の列に向かって病んだ雁が呼びかけるのです。
「病床の芭蕉が聞いている雁の声は、そういう只一羽の病む雁の
友を呼ぶ遠い悲痛な叫びである」
(古代文化研究所のネットに掲載されたものより)
琵琶湖沿岸の堅田かただの地で芭蕉は風邪で臥せていました。
自分自身と病む雁とを重ね合わせた自己投影俳句の傑作。
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな
さて芭蕉は(1644年生まれ1694年没)(江戸時代初期から元禄期)
どのようにして生計を立ててどのように旅費を得ていたのでしょう。
これから解説します。
①「宗匠として旅の途中に各地の句会で一句100文(約1200円)で
4句から6句ていどの添削指導を行い、点料を得て旅費の半額ほどを稼いでいた」
(歴史研究家 河合敦かわいあつし)
②前句575あるいは77を出す仕事で礼金をえていた。
前句の次に付句がきます。
連歌発生の基本形態です。
出題された前句に付句を作って点取りを競う遊戯的な俳諧です。
元禄の頃より盛んになり江戸中期に流行。
のちに川柳となりました。
弟子の豪農豪商は芭蕉に礼金を払い、付句の優劣を選んでもらいました。
③旅先で豪農豪商の弟子と連句を詠んで出座料を得ていました。
④作品集の出版販売。
⑤乞われて書いた発句の短冊などの礼金。
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな