俳句の作り方 冬青空の俳句

 こころの鳥をさなし冬青空遠し  伊庭直子いばなおこ

こころのとり おさなし ふゆあおぞらとおし

この句は2022年3月号の『河』に掲載されました。

冬青空が冬の季語。

6・4・9の破調の句です。

 句意を申し上げます。

雛は飛べないので空が遠い。

私の心の鳥も幼いので冬青空が遠いのです。

では心の鳥とは何を指すのでしょう?

この句では心の働きを意味しています。

では心とは何でしょう?

小学館類語例解辞典によると

「理性・知識・感情・意志などのもとになるもの」とあります。

私の場合、理性は多くの場合保たれていますが知識は不足しがち。

感情はそれほど豊かではありません。

慢性的に寂寥感に包まれているからです。

また意志は何か初めてのことをやろうとするとき健全に働いています。

それでも心の働きはまだまだ未熟な私です。

しかし、成長した雛が大空を飛ぶように

私もいつかは羽搏いて飛翔する時が来ます。

それには時間がかかります。

冬青空は遠いのです。

でもここで断言できることは死ぬまで成長するということです。

ああ、冬青空は遠い!

こころの鳥をさなし冬青空遠し

 

 

 ところで「こころの鳥」は私が目標としている河原枇杷男かわはらびわおの

「烏宙論」うちゅうろんに掲載されている俳句に用いられています。

言い換えればその句を詠んで作句したのです。

 

 外套やこころの鳥は撃たれしまま  河原枇杷男かわはらびわお

がいとうや こころのとりは うたれしまま

外套が冬の季語。

外套の中に納めている鳥は死んでいて弔いさえしなかったのです。

そのまま放置しているのです。

それは何故か?

枇杷男は虚無感に襲われているからです。

彼の俳句はよく虚無がテーマになります。

外套やこころの鳥は撃たれしまま

 


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