俳句の作り方 雑煮の俳句
人類に空爆のある雑煮かな 関悦史せきえつし
じんるいに くうばくのある ぞうにかな
雑煮が新年の季語。
「雑煮は正月三が日に餅をあつもの(野菜や肉などを入れて作った熱い汁物)
にして神仏に供え、一家で食べて新年を祝います。
正月の最も大事なハレの食物でありさらには各地の特色が色濃く表れています。」
(よくわかる俳句歳時記 石寒太編著)
上記の食べ方は正統派です。
現代では年中餅を食べる人が多いでしょう。
しかし、新春の雑煮はやはり新しい年が始まったという感慨をもたらします。
人類に空爆のある雑煮かな
今、関悦史は不安に包まれています。
突きつけられたテレビの空爆の映像の前に雑煮があるのです。
ふたつの事物は隔絶しています。
これらを同時に見ることによって、不安に襲われているのです。
なぜなら空爆と雑煮の間には何の調和もないからです。
彼の耳には不協和音が鳴り響いています。
人類に空爆のある雑煮かな
戦争と平和というテーマから一歩踏み込んでこの句を考察します。
人類に空爆のある苦痛は現世に確かに存在します。
その苦痛が存在する同じ地図の上で私たちの特権が存在しているのです。
そう、空爆を見ながら年神に供えるめでたい雑煮を食べる特権です。
その他さまざまな平穏を享受する特権があります。
それらの特権が、戦争で苦しんでいる人々と結びついているのだと
洞察することができるでしょうか?
作者は問いかけています。
人類に空爆のある雑煮かな
関悦史の俳句にはこんなものがあります。
皿皿皿皿皿皿血皿皿皿皿
皿の中に血が混じっています。
無季俳句です。
またこんな句もあります。
覚醒剤の如くに白き暑さかな
関悦史 1969年生まれ。
茨城県土浦市在住。
第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』
人類に空爆のある雑煮かな
人類に空爆のある雑煮かな
以前からこの句、よく分かりませんでした。私の老いぼれた脳みそで、ある程度解釈はしていましたが、どうしても、空爆と雑煮が完全につながりま
せんでした。なるほど、そういうことですか。勉強になりますね。
関悦史という人の句初めて出会いました。伊庭さんのお陰です。俳句と真摯に向き合っている伊庭さんに感心致します。
17文字で悲惨な争いで苦しんでいる人と、雑煮を食べ正月を寿はぐ人との対比が鮮明に描かれているのに感心致しました。
考えてみれば、人類がこの地球に現れてから争いが無くなった事はありません。
民族戦争、宗教戦争、経済戦争と枚挙に遑がありませんよね絶望的になる時があります。
少し前に私もこんな句を河に出した事があります。
聖五月兵士がピアノ弾いている