俳句の作り方 土筆の俳句
今日は方言を使った私の俳句を紹介します。
ほうしこと亡父呼びしか土筆出る 伊庭直子(いばなおこ)
この句はネット公募HAIKU日本で、2019年の春、佳作を獲らせていただいた作品です。
「ほうしこ」というのは愛媛の方言で土筆(つくし)のことです。
亡くなった愛媛出身の父も「ほうしこ」と土筆のことを、そう呼んだのだろうか?
春の野原に土筆が出たよ。
ほうしこと亡父呼びしか土筆出る 伊庭直子「いばなおこ」
ところで正岡子規も愛媛県松山市の出身です。
きっと「ほうしこ」と呼んだにちがいありません。
また、子規は松山の古い習慣である「おなぐみ」に参加したにちがいありません。
「おなぐみ」というのは、家族や近所の人々が集団となって野外に出て、
「ほうしこ」などを摘んだりする遊びです。
お昼になれば弁当を食べます。
いわばリフレッシュするための行楽のことです。
さて、子規は、随筆『墨汁一滴』を松山在の病床で書きつづりました。
寝返りを打つこともままならぬ体で、墨汁一滴分、つまり1行から20行の文章を書き続けたのです。
その『墨汁一滴』に、「おなぐみ」に参加した妹・律が、
夕餉の土筆を煮るため、上機嫌で独り言を言いながらつくしのハカマを取る情景が活写されています。
律のようすを見ている子規は、寝たきりであっても気持ちが晴れ晴れとします。
人を晴れやかにする「おなぐみ」は、子規の故郷ではなくてはならない行事だったのです。
ここで正岡子規の病いについてお話します。
明治21年8月、21才のとき鎌倉旅行の最中に喀血します。
23才でふたたび喀血して肺結核と診断されます。
当時、肺結核は死病でした。
25才で日本新聞社に入社すると、日清戦争に記者として従軍しました。
その帰路の船中で大喀血。重態となります。28才の時でした。
そのまま神戸で入院し兵庫県須磨で保養したあと松山に帰郷します。
当時、松山中学校の教師をしていた夏目漱石の下宿で静養することになりました。
29才の時、結核菌が脊椎を侵し脊椎カリエスと診断されます。
歩行困難はリューマチではなかったのです。
以後、床に臥す日が多くなります。
数度の手術むなしく好転せず、臀部や背中に穴が開きうみが流れ出るようになりました。
ですから32才から死ぬまでの約3年間はほぼ寝たきりでした。
寝返りもうてないほどの苦痛を麻痺剤でやわらげながら、俳句・和歌・随筆を書き続けました。
そんな折に随筆『墨汁一滴』が書かれたのです。
そこには死と生を鋭敏に、しかも優しく客観写生する子規の晩年が描かれています。