俳句の作り方 春の夢の俳句

春の夢は、儚いもののたとえとして古来から歌に詠まれたり物語られてきました。

 

春の夢死にさうな乙女は我か  伊庭直子(いばなおこ)

この句は、2021年令和3年4月号の俳句雑誌『河』に掲載された私の俳句です。

この句を作るにあたって、実際に見た夢を詠みました。

どんな夢かと申しますと・・・。

ドラム缶の中から、コンクリート詰めにされた若い女性が、助けを求めています。

私は彼女を見ながらも何もできずにいます。

春の夢の持つイメージとはうらはらに深刻な夢でした。

目覚めてからも彼女の顔が脳裏に焼き付いていました。

現実に若い女性が殺された冷酷な事件です。

何もできなかった悲しみが、そんな夢を見せたのでしょう。

しかし、悲哀や後悔は、俳句という芸術によって昇華させることができます。

 

さて、この春の夢を詠むとき、殺人という言葉を排除しました。

季語「春の夢」とそぐわないからです。

また、女性の様子を写生することもやめました。

5・7・5の17音の中で、ハルノユメという5音を除けばあと12音です。

この12音で、登場人物を活写する実力か゛、私にはありません。

それではどうするか?

私は発想を転換しました。

夢にでてくる人物は、往々にして、夢を見た人の投影であると

何かで読んだことがあります。

この場合、当てはまらないかも知れませんが、発想を替えて、

この女性は自分であると考えました。

春の夢死にさうな乙女は我か  伊庭直子(いばなおこ)

春に見た夢の死にそうな若い女性は、自分だったのか?

これで俳句として成立しました。

 

この句を作る際、句材を求めて外出したり、調べものをしたりしていません。

ただ夢を詠みアイデアだけで勝負しました。

病気になって吟行ができなかったり、十分調べたりすることができなくても

俳句は作れます。

夢は句づくりの良い宝庫です。

独りよがりにならぬよう夢を詠みましょう。

あなた様はどんな夢を詠みますか?

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