俳句の作り方 夏野の俳句
頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋たかやそうしゅう
あたまのなかで しろいなつのと なっている
7・7・5の破調の句。
夏野が夏の季語。
「百草が生い茂り、草いきれでむせかえるような野原。
『万葉集』にも
〈夏野行く牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや 柿本人麻呂〉
とあるように、和歌にも古くから詠まれてきた。
青野も同義だが、季語として定着したのは
山口誓子の〈青野ゆき馬は片眼で人を見る〉以降。」
(俳句歳時記 夏 角川書店編)
句意を申し上げます。
高屋窓秋はある夏の日、草いきれでむせかえるような野原を訪れました。
そして時が流れました。
その野原を何回思い出しても真っ白な野原の記憶が定着してしまっているのです。
なぜ野原が白いのでしょうか?
それは眩暈めまいを覚えるほど日射が激しい眩しさだったからに他ありません。
眩暈によって風景が真っ白になったのです。
頭の中で白い夏野となつてゐる
掲句は眩暈の記憶を表現したと言えるかもしれません。
なぜそう言えるのかは、上五を胸の裡うちとしなかったことからも解ります。
ご説明いたします。
胸の裡白き夏野となりしかな
これでも意味は通じます。
しかし、なぜ夏野が白かったのかは単に日射の問題です。
白い夏野となっているのが頭の中であるわけ。
それは眩暈が頭部を襲うものだからです。
だから胸ではなく頭なのです。
頭の中で白い夏野となつてゐる
高屋窓秋について・・・。
1910年(明治34年)生まれ、1999年没(平成11年)没。
「従来の写生主義、花鳥諷詠の俳句から離れた句作を行い、
昭和初期の新興俳句運動に大きな影響を与えた。
頭の中で白い夏野となつてゐる