俳句の作り方 簾の俳句
骨とほり抜くる寂しさ簾鳴る 伊庭直子いばなおこ
ほねとおり ぬくるさびしさ すだれなる
この句は『河』の2020年9月号に掲載されました。
簾が夏の季語。
「青竹を細く割って編んだもの。
軒や縁先に吊るして日を遮り、風通しを良くする。
蘆アシの茎を用いたものを葭簾よしすだれといい、
絵模様を編み込んだものを絵簾と言う。
青竹の青がいかにも涼感を漂わせる。」
(俳句歳時記 夏 角川書店編)
句意を申し上げます。
骨を通り抜けるほどの寂しさを感じました。
風が吹いて簾が窓に打ち付けられていました。
簾の鳴る音が寂しさをいや増して、骨を通り抜けるほど身にしむことですよ。
句材を求めてまだ暗い未明に外出しました。
外出と言っても歩いて5分ほどの近所です。
ご近所さんの家の前につきました。
視線をさえぎるため一年中吊っているので簾は茶色に褪色しています。
簾を詠もう。
それにしても風が強い。
半袖では肌寒い。
簾が窓ガラスに打ち付けられて鳴っています。
じっと観察します。
簾の鳴る音を聴いているうちにだんだん寂しくなりました。
おりから夏だというのに一陣の冷たい風が吹きました。
寒い。
あたりは真っ暗。
私一人が簾をじっと視ています。
句作とは何て孤独な作業なんでしょう。
風のもたらす寂しさが骨を通り抜けていきます。
骨とほり抜くる寂しさ簾鳴る
伊庭さんの云う、「句作とは何て孤独な作業なんでしょう」は私も実感としてその通りだと思います。
多分、小説家、画家、音楽家等、クリエーターは皆そうなんでしょう。
私たち俳人も、まず孤独と向き合う事から詩が生まれてくるのでしょうね。