俳句の作り方 涼しの俳句

     風生と死の話して涼しさよ  高浜虚子たかはまきょし

    ふうせいと しのはなしして すずしさよ

     風生とは俳人富安風生とみやすふうせいのことです。

    虚子の別荘の虚子山蘆さんろでの出来事です。

    俳人あらきみほの俳句Noteより引用します。

    「昭和32年7月山中湖畔の虚子山蘆での夏の稽古会のときであった。

    虚子が富安風生と田中医師の話に唐突に割り込んできた。

    『死ぬことこわいですか?

    私は死ぬこと、ちっとも怖くありませんね』

    と風生に言われたという。

    この時虚子83歳、風生72歳であった。」

     さて、虚子と風生は死についてどのような話をしたのでしょう。

    ここからは筆者の想像です。

     虚子「死ぬことこわいですか?

       私は死ぬこと、ちっとも怖くありませんね。」

    風生「虚子先生、それはどうしてですか?」

    虚子「死ぬということは生の始まりだからです。」

    風生「・・・?」

    虚子「わかるかね。命は循環しているのです。

      循環している命の質量は不変です。

      死んだからと言って命が消えてなくなるわけではない。

      死ぬとその命は次の新しい命の誕生に使われる。」

    風生「転生ということですか?」

    虚子「そうだ。」

    風生「でも転生するとわかっていても、やっぱり死ぬことは怖いです。」

    虚子「それは『解る』という行為に魂が作用していないからです。

      理知と魂は相反するものではありません。

      魂を直視してください。

      命の循環が見えてきませんか?」

    風生「魂の直視ですか・・・。

      先生と死の話をして大変勉強になりました。」

     風生と死の話して涼しさよ

    俳句の作り方 涼しの俳句” に対して1件のコメントがあります。

  1. 大谷元秀 より:

    あくまで私の自論ですが、私には輪廻転生という理論は結びついていませんが、転生は頷けるしその通りだと思っています。
    人間も含めて自然界に生きる森羅万象の生き物、植物、動物全ての生き物が転生していると思っています。
    例えば植物も育ってやがて朽ち果て土に還っていき、そしてその土が滋養となり次の植物が育つて行く。
    その繰り返しだと思います。 人間もそうだと思っています。
    私もあまり死は恐れていませんが、唯、何時も精一杯生きたいというジレンマは付き纏います。

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