俳句の作り方  胡瓜の俳句

     どうしても曲る胡瓜の寂しさは  原田暹はらだすすむ

    どうしても まがるきゅうりの さびしさは

 

 

     胡瓜きゅうりが夏の季語。

    「ほかの瓜と同様に畑で栽培し、柵などにからませたり地面に這わせたりする。

    季節感が薄れかけているが、茄子とともに夏を代表する野菜。」

    (俳句歳時記 夏 角川書店編)

     どうしても曲る胡瓜の寂しさは

 

 

     句意を申し上げます。

    胡瓜を育てているとどうしても曲ってしまう。

    そんな胡瓜はどうしようもなく寂しい。

    どうしても曲る胡瓜の寂しさは

 

 

     鑑賞してみましょう。

    なぜ曲る胡瓜が寂しいのか御分かりでしょらうか?

    それをご説明させていただきます。

    少々長くなりますがお付き合いください。

     私(作者)には意固地なところがあります。

    こんなことがありました。

     隣家の夫は出奔して貧窮しており子だくさん。

    ある木枯らしの吹く日、隣家の女房が借金を申し込みに来ました。

    私は「返済無用」と言って、わずかな金額を包みました。

     年が明けて桜の散ったころ、彼女が菓子を持ってきたのです。

    貧しさに変わりなく、子供の着ている服は冬物でした。

    それなのに老舗の和菓子を持ってきたのです。

    私は「そんな気遣いは無用です。」と言って、すぐ再び同額を包みました。

    すると彼女は「どうしても受け取ってほしい」と引き下がらないのです。

    私は私で「そんな物受け取る筋合いがない」と突っぱねました。

    菓子折りが両者の膝の間を往復しました。

    すると彼女は菓子折りを仏壇に置いて帰ってしまったのです。

    私はすぐに後を追いかけて、隣家の玄関に。

    妻に「もらった方があの人の心が軽くなるというものですよ」と言われました。

    【ああ、そうかもしれない】とつまらないことに頑なになってしまったと思いました。

    そして自分の頑固を寂しく思ったことです。

     どうしても曲がってしまう胡瓜に自分の性を重ね合わせました。

    どうしても曲る胡瓜の寂しさは

    

    

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