俳句の作り方 夏燕の俳句
遥かなる故園はひりり夏燕 伊庭直子いばなおこ
はるかなる こえんはひりり なつつばめ
この句は『河』の2020年9月号に掲載されました。
夏燕が夏の季語。
「春に南方から渡ってきた燕は4月から7月に通常2回産卵する。
産卵後1ヵ月余りで巣立ちをし、成鳥ともども各地で軽快に飛翔する姿が見られる。
青田をかすめて飛ぶ姿はいかにも夏らしくすがすがしい。」
(俳句歳時記 夏 角川書店編)
句意を申し上げます。
年月が長く隔たっても故郷を思い出すと心がひりひりする。
ああ、今年の夏も燕が飛んでいるよ。
親と一緒に住んでいた家は、父の働く会社の社宅でした。
母は情夫に会うためお洒落をしてしばしば出かけていました。
私たち子供の食事の用意をするのも怠りがちだったのです。
ひもじさに耐えかね社宅の小母さんたちの作った料理を食べていました。
彼女たちは優しく温かい目で私達を見守ってくれました。
母は三輪トラックでやって来る若い魚屋さんから買い求めることは一切ありませんでした。
ある日、車に集まっていた社宅の小母さんたちの前に母が帰ってきました。
口々に「どこへ行ってたの?」と問う小母さんたち。
母は襟ぐりの深いスーツから胸元をのぞかせながら黙って頭を下げるだけでした。
貧乏でないのに足が大きくなっても靴を買ってもらえませんでした。
それで小柄な母の靴を履いて小学校に通いました。
母は何足も持っていたのです。
母の靴を履くのはいまいましかった。
甲の飾りをむしり取ってしまいました。
そんなデザインの靴がある男子児童の目に留まりました。
校庭で「朝鮮!朝鮮人!」と言って私の足に唾を吐きました。
当時、韓国の人々は今よりも差別されていました。
親などの言動から差別されるべきだと考えたのでしょう。
差別の芽は小さな子供にも宿りました。
母の素行が社宅中に知れ渡り、一家は県内の文教地区へ引っ越しました。
私は父に何も言いませんでした。
両親は離婚することなく生活を共にして亡くなりました。
半世紀以上も前の出来事なのに、過去の光景がまざまざと目の前に広がります。
遥かなる故園はひりり夏燕
伊庭さんが育った環境についてのコメントは差し控えますが、通常であれば母親は子供の為には自分を犠牲にするものですよね。・
「遥かなる胡園はひりり夏燕」の伊庭さんの句、伊庭さんの過去の光景を抜きにしても、一句としてすくっと立っている、良い句だと
私は思います。