俳句の作り方 万緑の俳句
万緑やわが額にある鉄格子 橋本多佳子はしもとたかこ
ばんりょくや わがぬかにある てつごうし
万緑が夏の季語。
「樹々の緑が深まり、生命力に溢れる様子。
王安石の『万緑叢中紅一点』に基ずく。
中村草田男が用い一般化した。」
(俳句歳時記 夏 角川書店編)
万緑やわが額にある鉄格子
万緑やわが額にある鉄格子
句意を申し上げます。
(句の背景は筑紫保養院で橋本多佳子が、師である杉田久女の、
窓に鉄格子がはまった臨終の部屋を訪れた折りの作。)
一面の緑が満ちているそのさなかで私のひたいには鉄格子の影が刻まれている。
鑑賞してみましょう。
万緑の季節に私は杉田久女の終焉の部屋を訪れました。
窓辺の青葉は暗いほど茂り静けさだけが満ちていました。
十字にはめられた鉄格子が光を裂くように立っていました。
その影が、ふと額に触れた瞬間を私は忘れることができません。
杉田久女に手ほどきを受けた若い日の私が胸の奥で疼きます。
至らぬまま年を重ねた悔恨が鉄格子の影となって刻まれます。
あの人の苦しみを私はどれほど理解していたのでしょう。
万緑の明るさの中で死の気配がいっそう濃くなります。
ひたいに落ちた影は、師の声のように真っすぐ私を見つめていました。
生きている限りこの影は、私の中で消えないでしょう。
鉄格子は閉ざすものではなく私に向けられた問いだったのです。
万緑の光の中で私はようやくその問いに向き合い始めました。
万緑やわが額にある鉄格子
